麺を啜る音
多くはそばだが麺を啜る音というのはどのようにして発生するのだろうか。 推測してみると麺を口元で吸い込むときに 麺つゆに気泡が発生して破裂音となって口腔で共鳴するように思われる。 まず単純にモデル化しながら考えてみる。 水を口に含んで、顔を下向きにして口元をすぼめつつ少しづつ空気を吸ってみる。 当然ながら麺を啜る音とは全く異なる音が発生する。 ゴボゴボとかジュルジュルとかそんなものだ。 発生する気泡が大きすぎるのかも知れない。 口をすぼめるほど鳥の鳴き声のように音は高くなっていく。 しかし、唇と舌先をいろいろと使ってもズズーっと啜る音はなかなか再現できないことがわかる。 次に100均のストローが目に入ったので、これを6本ほど束にしてコップの水を吸い上げてみる。 いや正確にはストローで水を吸い上げながら、実はストロー同士の隙間から空気を吸い込んで口元に溜まった水の中で多くの破裂音を発生させているのだ。 まだ麺を啜る音には似つかないまでも近づいてきたような感じはある。 使ったストローは太めの5mm径のものだった。 違いと言うのはストローの管径と麺類の径の差だろう。 (この実験はむやみに真似してはいけない。 注意しないと吸引が強すぎて気管や内耳の方にまで水が入ってしまいかねないからだ。) 口腔の共鳴作用は働いているように思う。 ここでは音声波形や周波数分析のような物理的解析にまでは立ち入らずにおく。 楊枝を束ねた方が良いのかもしれない。
発生音は食べている自分にとっては、爽快に感じているというより自分の音はほとんど気にならない。 耳から入ってくる音もそうだが、骨伝導による頭蓋や鼻腔への共鳴音も含めて快い味覚の範疇に入っているのかも知れない。 おそらく耳をヘッドホンで塞いだり、ノイズキャンセラーをかけて食べたりするだけで、美味さが低減するかもしれない。 しかし、そばを啜る事が日本文化として必須というならば快い環境音としての啜り音の立て方というものを正しい歯の磨き方のように幼児期から身に着けていく必要がありそうだ。 ちなみに自分では比較的に静かに食べているつもりだったが、いったん意識してみると、そば以外の麺類でも結構啜り音が発生しているということがわかって驚いた。 考え事をしながら食事をしていると無意識のうちに他の麺類でも啜ってしまうことがある。 自分のいびきに気付くという感じに似ている。 食事の仕方は習慣動作になるので、自分の行動を常に意識化できていない人間でない限り、啜るのはそばだけというようにはいかない。 食事が自動作業になった時点でボロが出てしまう。
巷に出ている意見ではそばはしっかりと啜って食べるべきだという意見が圧倒的に多いように感じるが、実際にそば屋において他人の麺を啜る音が気になる事は自分としてはそれほど多いとは感じない。 定食扱いでファーストフード感覚でない場合は静かに食べている人の方が割と多いのではないかと感じる。 静かと言っても完全に音を立てずにではなく自然な範囲で啜り音が聴こえる程度のものだ。 気になるというのは啜るかどうかというより、啜るにしても音量や音質の違いが大きいと思う。 普通は1席離れた所の啜る音がとぎれとぎれに聞こえる程度であるが、時には3席以上離れた啜る音の方がそれを遥かに凌駕して聴こえる場合がある。 音のエネルギーは球面状に広がるから、店内の反響状況を無視すれば1席と3席離れた場所では9倍の違いがあるだろう。 人間の聴覚は対数特性に従うので、10倍の音量になってようやく倍程度の音に感じられると思われる。 啜るといっても通常の啜り方より数十倍の音響エネルギーを発生させている場合があり、国内的な感覚としてもそれが問題なのだろうと思われる。 メディアでは多くの人が日本文化であるからそばは堂々と啜るべきだと言っているように見える。 誰もが器用ではないので擁護の気遣いを表に出さずにお互いに気にするまいと言っているのだろう。 確かに憩いの時に音量計アプリで計測値をつきつけられても困る。
啜る音の出し方と言うのも楽器の演奏と同じように上手・下手の違いがあると思う。 粋な食べ方というのは、むやみに啜っているのではなく、ズッ--ズッ--というように小気味良い快適なリズムを伴っており、不快に感じられる手前でうまく抑制されている。 むしろ耳にしても快適に感じられる場合もあるぐらいだ。 決してズルズルとかズズズー-というようなものではない。 自分的にはズズズと3音続く程度ならありかなと思う。 あまり長すぎると自分でもいろいろなバキューム音を連想してしまうし、長く続くほど音は大きく感じられる。 何らかの工夫やコツで適度に抑えることができればそれに越したことはない。
考えてみれば箸の持ち方ぐらいは習っても、麺の啜り方という点から口腔内部の形状や舌の動きは教わることはない。 例えば、英語でもRとLの舌の動きの違いは何年たってもなかなか直すことはできない。 大人になってから幼児期から続く習慣を直すのは容易な事ではない。 もはや矯正は諦めて、カタカナ英語で一生貫き通す人もいるようなものだ。 ここで直そうとしても不成功の見込みが高く、これまでの人生は負けにしたくない、むしろこのままで押し通せば自分の人生は勝利で終わるみたいな心境になりそうだ。 一般的に30過ぎると自己のシステムの一部になった機能の矯正はかなり難しいと思われる。 大体は直そうという気にすらならないものだ。
元々麺とつゆ又はスープの料理は平均的な麺の引上げ速度に対して汁の粘度に応じた絡み具合が口元に入った時に最適なバランスになるように予め考慮された結果であるはずだ。 食事者のすることは麺の引上げ速度を一定に保つように専念するだけで良いはずだが、問題は麺の長さだ。 特にそばは途中で噛み切らずに咽喉越しを楽しむものとされている。 啜らずに静か過ぎるのも不味そうに食うなとか、息が続かずに途中で噛み切った麺を器に戻すのは論外とか言われたら難度が高すぎてどうしようもなくなる。 一掬いを何重かに重ねて誤魔化すのも叱られそうだ。
大きな音を立てるのは横隔膜で発生する負圧を直接に口元に作用させるからだろう。 標準的な啜り方は無意識なのかも知れないが口腔内を負圧のバッファとして用いて、舌の位置と口腔形状を連動して負圧をかける時間を微妙にコントロールしているのではないかと思われる。 上手に啜る人はつゆの落下に対抗でき、しかも飛沫が飛ばない程度に啜る引上げ速度を保つことができているようだ。 但し、麺が長い場合に噛み切ることなく、しかも快い啜り音を発生させるには口腔内の麺搬送にある程度のテクニックが必要なのかも知れない。 無理に吸引すると、啜るというよりもはやズズるという表現の方がふさわしくなってくる。
強く啜って大きい音が発生するのは、麺つゆを絡ませたまま口に持ってくるという元々の理由もあるのだが、むしろあまりに強く啜りすぎて麺を喉に詰まらせないために口腔内の負圧を緩和しなくてはならないという生理的な理由が大きいのではないかと思う。 つまり過剰に負圧を発生していて、アクセルをいっぱいに踏み込んでその暴走を抑えるためにブレーキをかけたような状態で啜っているから、結果として大きな音が発生するようになっているのだと思う。 啜る目的に対してはむしろ効率が悪いやり方だろう。 おそらく麺の引上げ速度は通常とそれほど変わっていないのではないか。
自分では他人の口腔内の動きはよくわからないが、口腔形状を横広がりにして啜ると大きな音が発生し、縦(前後)方向に口腔形状を伸縮させながら使うとコントロールがしやすく音を小さくしやすいのではないかと思う。 器用な人は舌先でサクランボの茎を結ぶ事もやってのける。 口腔の容量も個人差があるだろう。 私も器用な方ではないので、啜り音を立てるのは口元が不器用という話には本当はしたくない。 ただ自覚はあるので、思いっきり啜った方が美味いとか、歴史的に許容されているという話は単なる慰めと感じてしまう。 自分の場合では、本当に美味い新そばに出会ったりすると、香りや味わいを楽しもうとして啜る速度はむしろゆっくりになるようだ。
啜るのは麺の温度を冷ますためという場合もあるが、啜る人はざるそばでも冷やし中華でも同じように啜る場合が多いだろう。 いや、冷やし中華やそうめんはチュルチュルとかツルツルとかいう感じであり、ズルズルと啜るのはむしろ難しい感じがする。 長さ以外の要因として麺の水分含量あるいは重量比により強く啜らなくても吸い上げることができるだろうし、縮れがあったり断面形状が円形の方が通気性があって音が出にくいだろう。 氷水で締めているとか麺の弾力もしくはオイルの存在によって音の出にくい条件が存在しているように思える。 そうなると今後は誰でも啜り音のしにくい新たなそば食品が開発されるか可能性もあるだろう。 国内よりも海外需要があるかもしれない。 口腔から鼻孔への通気感覚が味覚に影響するという意見もあるが、強く啜っても小麦粉主体のそばの場合にはそば粉の新旧配合比が変わった以上の差があるとも感じない。 好みは分かれるだろうが期間もので新そばの香りやダッタン風味を小麦粉主体の麺で強調したカップそばも有り得るかもしれない。
食事というのは本能や衝動が表面化する行為でもある。 食事はストレス発散の役割を果たしている面もあるので、なるべくならここに抑制的なストレス要因を持ち込みたくない。 但し、口腔内の搬送コントロールがうまくできない状態のままで老後を迎えると、衝動的に飲食物を飲み込んで咽喉を詰まらせたりする可能性が高くなるのではないかという懸念がある。
発生音は食べている自分にとっては、爽快に感じているというより自分の音はほとんど気にならない。 耳から入ってくる音もそうだが、骨伝導による頭蓋や鼻腔への共鳴音も含めて快い味覚の範疇に入っているのかも知れない。 おそらく耳をヘッドホンで塞いだり、ノイズキャンセラーをかけて食べたりするだけで、美味さが低減するかもしれない。 しかし、そばを啜る事が日本文化として必須というならば快い環境音としての啜り音の立て方というものを正しい歯の磨き方のように幼児期から身に着けていく必要がありそうだ。 ちなみに自分では比較的に静かに食べているつもりだったが、いったん意識してみると、そば以外の麺類でも結構啜り音が発生しているということがわかって驚いた。 考え事をしながら食事をしていると無意識のうちに他の麺類でも啜ってしまうことがある。 自分のいびきに気付くという感じに似ている。 食事の仕方は習慣動作になるので、自分の行動を常に意識化できていない人間でない限り、啜るのはそばだけというようにはいかない。 食事が自動作業になった時点でボロが出てしまう。
巷に出ている意見ではそばはしっかりと啜って食べるべきだという意見が圧倒的に多いように感じるが、実際にそば屋において他人の麺を啜る音が気になる事は自分としてはそれほど多いとは感じない。 定食扱いでファーストフード感覚でない場合は静かに食べている人の方が割と多いのではないかと感じる。 静かと言っても完全に音を立てずにではなく自然な範囲で啜り音が聴こえる程度のものだ。 気になるというのは啜るかどうかというより、啜るにしても音量や音質の違いが大きいと思う。 普通は1席離れた所の啜る音がとぎれとぎれに聞こえる程度であるが、時には3席以上離れた啜る音の方がそれを遥かに凌駕して聴こえる場合がある。 音のエネルギーは球面状に広がるから、店内の反響状況を無視すれば1席と3席離れた場所では9倍の違いがあるだろう。 人間の聴覚は対数特性に従うので、10倍の音量になってようやく倍程度の音に感じられると思われる。 啜るといっても通常の啜り方より数十倍の音響エネルギーを発生させている場合があり、国内的な感覚としてもそれが問題なのだろうと思われる。 メディアでは多くの人が日本文化であるからそばは堂々と啜るべきだと言っているように見える。 誰もが器用ではないので擁護の気遣いを表に出さずにお互いに気にするまいと言っているのだろう。 確かに憩いの時に音量計アプリで計測値をつきつけられても困る。
啜る音の出し方と言うのも楽器の演奏と同じように上手・下手の違いがあると思う。 粋な食べ方というのは、むやみに啜っているのではなく、ズッ--ズッ--というように小気味良い快適なリズムを伴っており、不快に感じられる手前でうまく抑制されている。 むしろ耳にしても快適に感じられる場合もあるぐらいだ。 決してズルズルとかズズズー-というようなものではない。 自分的にはズズズと3音続く程度ならありかなと思う。 あまり長すぎると自分でもいろいろなバキューム音を連想してしまうし、長く続くほど音は大きく感じられる。 何らかの工夫やコツで適度に抑えることができればそれに越したことはない。
考えてみれば箸の持ち方ぐらいは習っても、麺の啜り方という点から口腔内部の形状や舌の動きは教わることはない。 例えば、英語でもRとLの舌の動きの違いは何年たってもなかなか直すことはできない。 大人になってから幼児期から続く習慣を直すのは容易な事ではない。 もはや矯正は諦めて、カタカナ英語で一生貫き通す人もいるようなものだ。 ここで直そうとしても不成功の見込みが高く、これまでの人生は負けにしたくない、むしろこのままで押し通せば自分の人生は勝利で終わるみたいな心境になりそうだ。 一般的に30過ぎると自己のシステムの一部になった機能の矯正はかなり難しいと思われる。 大体は直そうという気にすらならないものだ。
元々麺とつゆ又はスープの料理は平均的な麺の引上げ速度に対して汁の粘度に応じた絡み具合が口元に入った時に最適なバランスになるように予め考慮された結果であるはずだ。 食事者のすることは麺の引上げ速度を一定に保つように専念するだけで良いはずだが、問題は麺の長さだ。 特にそばは途中で噛み切らずに咽喉越しを楽しむものとされている。 啜らずに静か過ぎるのも不味そうに食うなとか、息が続かずに途中で噛み切った麺を器に戻すのは論外とか言われたら難度が高すぎてどうしようもなくなる。 一掬いを何重かに重ねて誤魔化すのも叱られそうだ。
大きな音を立てるのは横隔膜で発生する負圧を直接に口元に作用させるからだろう。 標準的な啜り方は無意識なのかも知れないが口腔内を負圧のバッファとして用いて、舌の位置と口腔形状を連動して負圧をかける時間を微妙にコントロールしているのではないかと思われる。 上手に啜る人はつゆの落下に対抗でき、しかも飛沫が飛ばない程度に啜る引上げ速度を保つことができているようだ。 但し、麺が長い場合に噛み切ることなく、しかも快い啜り音を発生させるには口腔内の麺搬送にある程度のテクニックが必要なのかも知れない。 無理に吸引すると、啜るというよりもはやズズるという表現の方がふさわしくなってくる。
強く啜って大きい音が発生するのは、麺つゆを絡ませたまま口に持ってくるという元々の理由もあるのだが、むしろあまりに強く啜りすぎて麺を喉に詰まらせないために口腔内の負圧を緩和しなくてはならないという生理的な理由が大きいのではないかと思う。 つまり過剰に負圧を発生していて、アクセルをいっぱいに踏み込んでその暴走を抑えるためにブレーキをかけたような状態で啜っているから、結果として大きな音が発生するようになっているのだと思う。 啜る目的に対してはむしろ効率が悪いやり方だろう。 おそらく麺の引上げ速度は通常とそれほど変わっていないのではないか。
自分では他人の口腔内の動きはよくわからないが、口腔形状を横広がりにして啜ると大きな音が発生し、縦(前後)方向に口腔形状を伸縮させながら使うとコントロールがしやすく音を小さくしやすいのではないかと思う。 器用な人は舌先でサクランボの茎を結ぶ事もやってのける。 口腔の容量も個人差があるだろう。 私も器用な方ではないので、啜り音を立てるのは口元が不器用という話には本当はしたくない。 ただ自覚はあるので、思いっきり啜った方が美味いとか、歴史的に許容されているという話は単なる慰めと感じてしまう。 自分の場合では、本当に美味い新そばに出会ったりすると、香りや味わいを楽しもうとして啜る速度はむしろゆっくりになるようだ。
啜るのは麺の温度を冷ますためという場合もあるが、啜る人はざるそばでも冷やし中華でも同じように啜る場合が多いだろう。 いや、冷やし中華やそうめんはチュルチュルとかツルツルとかいう感じであり、ズルズルと啜るのはむしろ難しい感じがする。 長さ以外の要因として麺の水分含量あるいは重量比により強く啜らなくても吸い上げることができるだろうし、縮れがあったり断面形状が円形の方が通気性があって音が出にくいだろう。 氷水で締めているとか麺の弾力もしくはオイルの存在によって音の出にくい条件が存在しているように思える。 そうなると今後は誰でも啜り音のしにくい新たなそば食品が開発されるか可能性もあるだろう。 国内よりも海外需要があるかもしれない。 口腔から鼻孔への通気感覚が味覚に影響するという意見もあるが、強く啜っても小麦粉主体のそばの場合にはそば粉の新旧配合比が変わった以上の差があるとも感じない。 好みは分かれるだろうが期間もので新そばの香りやダッタン風味を小麦粉主体の麺で強調したカップそばも有り得るかもしれない。
食事というのは本能や衝動が表面化する行為でもある。 食事はストレス発散の役割を果たしている面もあるので、なるべくならここに抑制的なストレス要因を持ち込みたくない。 但し、口腔内の搬送コントロールがうまくできない状態のままで老後を迎えると、衝動的に飲食物を飲み込んで咽喉を詰まらせたりする可能性が高くなるのではないかという懸念がある。
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